「上町台地」は昔、現在の大阪湾が深く入り組み「難波津」として首都機能に貢献するまちでした。その名の通り「夕陽丘」からは大阪湾に沈む夕陽が美しく見られたといいます。また仁徳天皇の「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどは賑わいにけり」の歌に表わされる高台の眺めはその地形を想わせます。「上町台地」から西へ現在の松屋町筋に向かって下る坂道は「天王寺七坂」と呼ばれそれぞれに由緒ある寺社や史跡と関わるものです。「上町台地」の東は「谷」の付く地名が多数残っています。
豊臣秀吉は大阪城築城にあたり、上町台地の地形を活かした惣構を構築し、現在の都市基盤となる区画整備を行っています。寺町が設けられたのもこの時です。
「上町台地」のほぼ中心ともいえる現在の「上本町」付近は大阪城から南にわずか、さらに南へは奈良方面へ通じる交通の要所であったことも、現在近畿日本鉄道(近鉄)のターミナルとなっていることから窺えます。京都へ向かう京阪電鉄線と地下鉄谷町線を南北に結ぶ、「上町台地」はまさに大阪のクロスポイントなのです。
「上町台地」は作家織田作之助が「木の都」と称したように大阪市内において緑が残るまちでもあります。街中には公園も多くあり、生國魂神社から南にかけて下寺町を通り、天王寺公園へは緑地がベルト状に残されています。